山里村(読み)やんざとうむら

日本歴史地名大系 「山里村」の解説

山里村
やんざとうむら

[現在地名]久米島町山里やまざと

具志川ぐしちやー間切中部に位置し、北は仲地なかち村、南および東は上江洲ういーじ村。ヤンザトゥと発音する。仲地村との間にある小村玉那覇たんなは武富だきどうん安里あさとう三村は当村に所属していたとみられる(「球陽」尚穆王一八年条)。地元では集落の北側をヤンザトゥ、南側をタンナハと称し、タンナハのイービとよばれる拝所は伊敷索ちなは(イシキナハとも)按司の三男笠末若茶良の誕生後、臍の緒を埋め、その上に蘇鉄を植えた所と伝える。絵図郷村帳に玉那覇村がみえ、琉球国高究帳によると玉那覇村の高頭二〇石余、うち田七石余・畠一二石余。


山里村
やまさとむら

[現在地名]浪岡町大釈迦

藩政中期から天明(一七八一―八九)にかけて柳久保やなぎくぼ村より二キロ東南の山中にあった小村。戸数四、五軒であったらしく現在は屋敷跡のみが残る。

貞享四年(一六八七)検地帳に長左衛門ら屋敷四軒のみで、畑六畝二二歩、村高〇・五三九石、漆木四千三六五本、村中抱えの観音堂地一二歩があった。元禄三年(一六九〇)には浪岡組に属し、村位は下とある(平山日記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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