山鹿素行墓(読み)やまがそこうのはか

国指定史跡ガイド 「山鹿素行墓」の解説

やまがそこうのはか【山鹿素行墓】


東京都新宿区弁天町の宗参寺にある江戸時代前期の儒学者・兵学者の墓。墓地内にある傾斜地のほぼ中央に位置し、歴史的に重要な人物であることなどから、1943年(昭和18)に国の史跡に指定。墓石は2重台石上に長方形石を置いたもので、正面には「月海院殿瑚光浄珊居士墓」と楷書(かいしょ)で刻まれている。山鹿素行は1622年(元和8)に会津で生まれ、朱子学や兵学を学び、家塾を興して多くの門弟を育てたが、当時の官学であった朱子学を批判したため、赤穂藩へ流される。晩年には許されて江戸に帰り、もっぱら兵学を唱え、山鹿流軍学の祖として知られている。東京メトロ東西線早稲田駅から徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android