岐部庄(読み)きべのしよう

日本歴史地名大系 「岐部庄」の解説

岐部庄
きべのしよう

古代国東郡伊美いみ(和名抄)内に成立した庄園で、庄域は周防灘に注ぐ櫛来くしく川の右岸から岐部川・向田むかた川流域、現国見町岐部・小熊毛こくまげ大熊毛おおくまげ向田一帯と考えられる。本家は山城石清水いわしみず八幡宮。領家は宇佐宮神宮寺の弥勒寺。岐部浦ともいう。竹田津たけたづ庄、八坂やさか(現杵築市)などと同じく文治二年(一一八六)四月一三日の後白河院庁下文案(益水家記録)にみえる豊後国浦部うらべ十五箇庄の一つ。文治年中に宇佐宮太大工小山田貞遠が作成・利用した宇佐宮仮殿地判指図(宇佐神宮蔵)によると豊後一国役が課せられた宇佐宮仮殿造営で、当庄は宇佐宮若宮西生江垣一七間のうち二間を分担していた。嘉禎三年(一二三七)八月六日の岐部太郎宛関東御教書(中村雅真文書)によると当庄は東大寺講堂勧進所から材木引人夫を課せられていたが、寺家(弥勒寺)抑留により所課を緩怠していたため、幕府は岐部太郎に対して地頭としての役を果すよう命じている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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