日本歴史地名大系 「岡登用水」の解説
岡登用水
おかのぼりようすい
寛文年間(一六六一―七三)幕府代官岡上(岡登)景能により開削された用水。かつては
寛文一二年の幕府巡見使中山茂兵衛・御手洗伝左衛門による検分の結果、取水後も渡良瀬川下流の水は減らないものの、笠懸野用水は毎年九月一日より翌年三月晦日の間に限って水取が認められ、四月一日より八月晦日までは堰口に三尺の戸を立て築堤し、水を留めることとされた(「水取証文」柳文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報