20世紀日本人名事典 「岡精一」の解説 岡 精一オカ セイイチ 明治〜昭和期の洋画家 生年慶応4年5月29日(1868年) 没年昭和19(1944)年 出生地大阪 学歴〔年〕二松学舎卒 経歴浅井忠に師事して洋画を学び、明治16年本多錦吉郎の彰技堂に入門、さらに20年小山正太郎の不同舎に移る。22年明治美術会展に出品して注目され、森鷗外に同展批評で好意的に取りあげられた。23年内国勧業博に「山内一豊妻図」を出品、褒状を受ける。33年渡米、35年ヨーロッパへ移り、パリでジャン・ポール・ローランスに師事。この間滞仏中の藤島武二、鹿子木孟郎らと交遊があった。41年帰国、大平洋画会に所属し出品を続けた。また一時は日水彩画会にも参加した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡精一」の解説 岡精一 おか-せいいち 1868-1944 明治-昭和時代前期の洋画家。慶応4年5月29日生まれ。浅井忠に師事。彰技堂,不同舎で油絵をまなんだ。明治22年明治美術会創立会員となる。23年内国勧業博覧会で褒状。33年渡米,のち41年までパリでまなぶ。太平洋画会に所属し,同研究所で指導にあたった。昭和19年死去。77歳。大坂出身。作品に「捜索」「山内一豊妻図」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by