日本の城がわかる事典 「岩ヶ崎城」の解説 いわがさきじょう【岩ヶ崎城】 千葉県香取市(旧佐原市)にあった山城(やまじろ)。旧佐原市の市街から眺めることができる、利根川河畔の比高30mほどの独立台地の上に築かれていた。築城は比較的新しく戦国時代末期。史料によれば、千葉氏の部将の国分氏が築き、同氏が大崎城(同市)から居城を移したとも(伊能三郎右衛門家文書『部冊帳』、伊能康之助文書『根郷五箇村谷地御定納記』)、国分氏、大須賀氏、円城寺氏らが交代で城将をつとめたとも(『千葉家記』)、国分氏が築城してその家臣鳥居筑後守が居城したともある(『東国闘戦見聞私記』)。1590年(天正18)の豊臣秀吉の北条氏攻め(小田原の役)の際、安房里見家の家臣正木大膳が北条方に属していた岩ヶ崎城を攻略。国分氏は追放された。この戦いの後、関東に入部した徳川家康の譜代の家臣鳥居元忠が入城し、近世の城郭に改築する途上で、関ヶ原の戦い前夜に伏見城で戦死。戦後、鳥居氏は磐城平10万石に移封されたために、岩ヶ崎城は未完成のまま、廃城となった。現在、本丸付近は宅地化が進み、遺構は失われてしまったが、稲荷神社と八幡神社付近には土塁や堀が比較的良好な状態で現存している。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報