岩倉 具経
イワクラ トモツネ
- 肩書
- 宮中顧問官
- 生年月日
- 嘉永6年6月17日(1853年)
- 経歴
- 明治元年東山道鎮撫副総督、江戸開城後奥羽征討白河口副総督となったが、勤学のため辞して帰京、東征の功により堂上に列せられ、一家を創立。3年米国留学、11年帰国、太政官大蔵権少書記官、17年男爵、ロシア公使館在勤、23年宮中顧問官。24年子爵。
- 没年月日
- 明治23年10月17日
- 家族
- 父=岩倉 具視
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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岩倉具経
没年:明治23.10.17(1890)
生年:嘉永6.6.17(1853.7.22)
岩倉具視の3男。母は家女房野口槙子。明治1(1868)年戊辰戦争に際し,16歳で東山道鎮撫副総督(総督は兄具定)を命ぜられて江戸へ進撃,江戸開城後奥羽征討白川口副総督(総督具定)に転じて奥羽平定に出発するが,まもなくこれを兄と共に辞した。1年堂上に列して40石の禄を与えられ,翌2年賞典禄200石を軍功により給せられた。3年具定と共に米国へ留学,11年初めに帰国し,以後太政官,大蔵省,外務省に勤務,17年男爵を授けられた。同年外務書記官となり駐ロシア日本公使館在勤,21年帰国後北白川宮別当,帝室制度取調委員,宮中顧問官を勤めた。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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岩倉具経 いわくら-ともつね
1853-1890 明治時代の官僚。
嘉永(かえい)6年6月17日生まれ。岩倉具視の3男。戊辰(ぼしん)戦争では東山道鎮撫(ちんぶ)副総督,奥羽征討白河口副総督。明治元年一家を創立。3年兄具定とアメリカに留学し11年に帰国。17年外務書記官としてロシア公使館に勤務した。23年宮中顧問官。明治23年10月17日死去。38歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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岩倉 具経 (いわくら ともつね)
生年月日:1853年6月17日
明治時代の官吏。外務書記官;男爵
1890年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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