日本歴史地名大系 「岩倉千軒跡」の解説 岩倉千軒跡いわくらせんげんあと 奈良県:吉野郡吉野町吉野町岩倉千軒跡[現在地名]吉野町大字吉野山吉野山牛頭天王(ごうずてんのう)社跡の裏手山腹に数戸の人家が散在する。岩倉町といい、この付近から上岩倉にかけて岩倉千軒跡とよぶ。上岩倉の堂屋敷(どうやしき)の地名のある地点は「後二条師通記」の「寛弘四年八月師通道長ノ金峯山参詣日記ヲ抄出ス」の項に、寛弘四年(一〇〇七)五月一二日藤原道長が金峯(きんぶ)山上からの帰途に「十二日己巳、天晴、着宝塔、進勝、又依金照申着石蔵、定金照房、其寺甚美也」とある石蔵(いわくら)で、「金峯山創草記」の「諸社諸堂勤事」には「石蔵寺観音堂、当山根本堂本尊千手観音」「二月堂長日供養法(下略)」「同院常行堂」「同院宝塔院、白河院御願、承和三年被立之、承暦三年十二月二十六日供養(下略)」などとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by