日本の城がわかる事典 「岩倉城」の解説 いわくらじょう【岩倉城】 愛知県岩倉市にあった平城(ひらじろ)。同市指定史跡。明応年間(1492~1501年)に織田敏広が、あるいは織田信安が築いて居城としていたとされる。織田信長によって統一される以前の尾張は、尾張守護・斯波氏のもとで守護代をつとめていた、織田氏宗家の織田伊勢守家(岩倉織田氏)が尾張上四郡を支配していたが、岩倉城は、その岩倉織田氏が居城としていた城である。一方、尾張下四郡は織田信長につながる織田大和守家(清洲織田氏)が支配し、両織田家は互いに争った。1557年(弘治3)、清洲城主の織田信長と弟の信行との間に相続をめぐる争いが起こった際、4代目の岩倉城主だった信安は信行に味方をしたことから信長に攻められ、翌1558年(永禄1)の浮野合戦で信長に敗北し、その翌年岩倉城は信長勢により落城した。これにより、信長は尾張を統一した。その後、岩倉城は廃城となり、その痕跡を消した。岩倉城は二重の堀をめぐらした城であったと伝えられているが、現在はかつての本丸跡に「岩倉城址」と「織田伊勢守城址」の2つの碑が建っているのみである。1990年(平成2)、県道の建設に先立って行われた発掘調査で、この城址碑の南側に堀跡などの遺構が発見された。名鉄犬山線岩倉駅から徒歩約10分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報