岩櫃城跡
いわびつじようあと
吾妻川左岸、岩櫃山東山腹から北東丘陵上に築かれたおよそ東西一・二キロ、南北八キロの範囲に及ぶ雄大な山城。遺構は本城・天狗丸・平沢の三つの部分からなる複合的な城郭で、不動沢を隔てた東北方通称観音山の北に柳沢城が築かれている。「いだて」(居立)といわれる本城部分は標高五九三・三メートル、比高一八三・三メートル、全体の南東部にあり、東西一一〇メートル、幅三六メートルという細長いプランで、東に直径二九メートルの不正円形の二ノ丸があり、その間は折のついた堀で隔てられ、この堀は南へ二〇〇メートルも下り、竪堀を形成している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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