日本歴史地名大系 「岩舟村」の解説 岩舟村いわふねむら 長野県:中野市岩舟村[現在地名]中野市大字岩船(いわふね)夜間瀬(よませ)川扇状地の湧泉地帯に位し、東は中野(なかの)、西は江部(えべ)、南は西条(にしじよう)、北は吉田(よしだ)村に接している。貞和元年(一三四五)足利尊氏が岡本良円に宛行った「中野佐藤太跡」は本村の地と推定される(「足利尊氏下文案」秋田藩採集文書)。本村はもと中野(本姓藤原)氏の所領であったが、高梨氏の侵略を受けた。寛正六年(一四六五)四月、諏訪上社花会結番を中村地頭高梨将秀が勤めるにあたり、岩船新左衛門高弘が代官となっている(諏訪御符礼之古書)。 岩舟村いわふねむら 島根県:安来市岩舟村[現在地名]安来市岩舟町田頼(たより)村の南に位置し、東は中島(なかじま)村、西は意宇(いう)郡意東(いとう)村(現東出雲町)。岩船とも書く。正保国絵図に村名がみえる。「郡村誌」によると田二三町三反余・畑五町一反余・宅地一町七反余・山林一八〇町九反余、戸数三九・人数一八一、牛一二。物産は米・大麦・小麦・大豆。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by