岫崎関(読み)くきがさきのせき

日本歴史地名大系 「岫崎関」の解説

岫崎関
くきがさきのせき

現清水市興津東おきつひがし町から由比ゆい町付近の海岸部、あるいは興津中おきつなか町付近に比定する説もある。「日本紀略」天慶三年(九四〇)正月二五日条に「駿河国岫崎関」とみえ、平将門の乱に関係して、当関が凶党によって打破られたなどの報告が遠江・伊豆国からあった。「能因歌枕」に「くきかさき」とみえ歌枕になっている。貞応二年(一二二三)四月一三日、「海道記」の作者は清見きよみ関の跡を見て興津の浦を過ぎ、当地に至り、「岫か崎といふ処は、風飄々と翻りて砂をかへし、波、浪々と乱れて人をしきる、行客ここにたへ、暫くよせひく波のひまを伺ひて急き通る、左はさかしき岡の下、岩のはさまを凌きゆく、右は幽かなる波の上、望めは眼うけぬへし、遥々と行くほとに」大和多の浦に着いている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ユーラシア大陸、北アメリカ大陸北部に広く分布し、日本では北海道にエゾヒグマが生息する。成獣は体長2メートル以上、体重300キロにもなり、日本最大の陸生動物として知られる。雑食性で草や木の実、サケ、シ...

ヒグマの用語解説を読む