岸本 水府
キシモト スイフ
大正・昭和期の川柳作家,広告文案家
- 生年
- 明治25(1892)年2月29日
- 没年
- 昭和40(1965)年8月6日
- 出生地
- 三重県鳥羽
- 本名
- 岸本 竜郎(キシモト タツオ)
- 別名
- 別号=三可洞,寸松亭,水野 蓼太郎
- 学歴〔年〕
- 大阪成器商〔明治42年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 大阪府文化賞〔昭和22年〕
- 経歴
- 大阪貯金局に務めた後、桃谷順天館、福助足袋、寿屋、グリコ本舗などの宣伝部長、支配人を歴任。明治42年9月関西川柳社(後の番傘川柳社)西田当百に師事、大正2年当百を中心の「番傘」を創刊、編集者兼選者を務めた。伝統川柳を超えた近代的川柳を提唱、後に番傘川柳社会長となり、主宰した。昭和21年日本学士会特別会員、日本文芸家協会員となり、22年大阪文化賞を受賞した。趣味は浮世絵の収集。著書に「川柳手引」「川柳つくり方問答」「川柳文学雑稿」「川柳の書」「番傘川柳一万句集」「川柳読本」「人間手帳」「岸本水府川柳集」「母百句」「定本岸本水府句集」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
岸本水府
きしもとすいふ
(1892―1965)
川柳(せんりゅう)作家。本名龍郎(たつお)。三重県に生まれ、のち本籍地大阪に帰る。初め短詩的川柳を目ざした。1913年(大正2)西田当百(とうひゃく)らと雑誌『番傘(ばんがさ)』を創刊。やがて伝統派に帰り、伝統川柳に近代的感覚を盛り込んだ「本格川柳」を提唱、また川柳の遊戯的要素を排除しようと「第四運動」を主張した。日本各地に番傘川柳会を組織し、ラジオ放送で川柳を選評するなど、文学としての川柳を大衆に普及させた。著書に『人間手帖』『川柳読本』などがある。
[岩田秀行]
一握り握つた雪に音がする
『岸本吟一編『川柳全集4 岸本水府』(1981・構造社出版)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
岸本水府 きしもと-すいふ
1892-1965 大正-昭和時代の川柳作家。
明治25年2月29日生まれ。大正2年西田当百(とうひゃく)らと「番傘」を創刊し,のち主幹となる。伝統川柳に近代感覚をくわえた本格川柳を提唱。福助足袋勤務ののちグリコ(現江崎グリコ)広告部長をつとめ,昭和11年「一粒300メートル」の広告アイディアをだした。昭和40年8月6日死去。73歳。三重県出身。大阪成器商業卒。本名は竜郎(たつお)。著作に「川柳読本」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
岸本 水府 (きしもと すいふ)
生年月日:1892年2月29日
大正時代;昭和時代の川柳作家;広告文案家。番傘川柳社会長
1965年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の岸本水府の言及
【川柳】より
…2人はそれぞれ《日本》《電報》両新聞に拠って普及につとめた。剣花坊門の[村田周魚]は《川柳きやり》(1920),[川上三太郎]は《川柳研究》(1929)を発刊し,久良伎門の[前田雀郎]は24年丹若会を結成,今井卯木が1909年関西川柳社を創立,西田当百,岸本水府の《番傘》(1913),麻生路郎(じろう)の《川柳雑誌》(1924),椙元(すぎもと)紋太の《ふあうすと》(1929)が生まれるに至った。吟社の数は現在では全国800余社を数えるに至っている。…
※「岸本水府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」