粗末な雨傘の呼名。語源は番号を書いた傘の意。正徳(1711-16)のころに大坂の大黒屋がつくった傘が古く,1本の竹を30~35本に割った太い骨に白紙を張り,荏油(エゴマ油)で防水してあった。これが江戸に伝えられ丈夫で値段の安いことから庶民の間で大いに流行し,大黒屋傘の名で全国にひろまったが,上流階級には使われなかった。享保(1716-36)のころには和歌山で,大黒屋傘の骨竹を細くした粗雑なつくりの傘がつくられ,江戸に出荷された。これは風雨には弱かったが値段が安かったので,挟箱(はさみばこ)に入れて急な降雨の備えとする者が多く,手代傘と呼ばれた。享和期(1801-04)には江戸でも大黒屋傘がつくられた。骨数が約60本と多く,糸飾のある上質のもので,東大黒傘と呼ばれた。これらの表には番号のほか,屋号,屋印,町名などを書き,使用人に使わせたり客に貸したりするようになった。江戸の越後屋の貸傘は人気があり,返却する人は少なかったが,かえってそれが広告となったという。
執筆者:菊田 隆
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
雨傘の一種。江戸時代中期に大坂でつくられた大黒屋の「つんぼ傘」が、江戸に下って番傘とよばれた。元来、紙が厚く、骨竹の削りが粗く、荏油(えのあぶら)を引いたもっとも安価な傘である。だいたいは大坂産であったが、8代将軍吉宗(よしむね)のころから江戸でもつくられるようになった。形は普通直径が3尺8寸(約1.15メートル)、骨数は54、柄(え)の長さは2尺6寸(約79センチメートル)くらいである。商家では店の者が使用したり、大店(おおだな)では驟雨(しゅうう)のおりに貸すために屋号の印や、「子(ね)の十五番」などと番号を入れたりした。それが番傘とよばれた語源である。職人の家でも他人と間違えないため名前を入れることもあったが、一般には無地のものを用いた。
[遠藤 武]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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