日本歴史地名大系 「島堀切村」の解説 島堀切村しまほりきりむら 福岡県:山門郡大和町島堀切村[現在地名]大和町鷹(たか)ノ尾(お)、三池(みいけ)郡高田(たかた)町徳島(とくしま)鷹尾(たかお)村の南、中島(なかしま)川(現矢部川下流)の両岸にある。東は堀切(ほりきり)村(現瀬高町)。天正八年(一五八〇)日向国米良(めら)郷の領主米良信之は主従数十名とともに鷹尾城主田尻親種を頼って鷹尾に来て、名も島十右衛門と改め、海岸の葭の洲を開いたのが当村とされる。十右衛門は慶長一一年(一六〇六)三月二日に死去(大和町史)、その墓碑は通称屋敷(やしき)にある。文禄五年(一五九六)の立花親成知行宛行状(米多比家文書)には鷹尾城番立花(米多比)鎮久への給知三千五〇〇石のうちに堀切島一六〇石余がみえる。元和七年(一六二一)の郡村帳には島堀切村とあり、玄蕃高二〇三石余・新田高三一一石余、小物成は葭野年貢米二石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by