20世紀日本人名事典 「島村浅夫」の解説 島村 浅夫シマムラ アサオ 明治〜昭和期の実業家 生年文久2年5月13日(1862年) 没年昭和6(1931)年7月7日 出身地豊前国小倉(福岡県) 学歴〔年〕慶応義塾別科〔明治19年〕卒 経歴明治14年上京して、翌15年福沢諭吉の書生となり、慶応義塾で学ぶ。19年同塾別科を卒業して小田原英語学校で教鞭を執り、翌20年慶応義塾に転じた。22年日本郵船に入り、40年門司支店長、のち本店調度部長などを経て、専務に就任。この間、日清戦争・日露戦争に陸海軍御用船事務取扱を務める。のち一時退社したが、昭和4年再び入社して取締役となり、傍ら近海郵船会長、扶桑海上火災保険・国際通運・大正製麻などの重役も兼ねた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島村浅夫」の解説 島村浅夫 しまむら-あさお 1862-1931 明治-昭和時代前期の実業家。文久2年5月13日生まれ。福沢諭吉の書生となり,慶応義塾でまなぶ。明治22年日本郵船にはいり,門司(もじ)支店長などをへて専務となる。近海郵船,扶桑海上火災などの重役もかねた。昭和6年7月7日死去。70歳。豊前(ぶぜん)小倉(福岡県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by