朝日日本歴史人物事典 「島津忠長」の解説
島津忠長
生年:天文20.7.17(1551.8.18)
安土桃山時代の薩摩(鹿児島県)の武将。父は島津忠良の子尚久。図書頭。天正13~15(1585~87)年,島津氏の家政機関である老中を務めた。老中のうち唯一嫡家の出であった。天正4年の日向高原城の伊東氏攻略に当たり,翌年,大隅串良城(鹿児島県串良町)の地頭に補任された。日向石城での大友義鎮軍攻略や,肥前(佐賀県)の大名竜造寺隆信を破って滅亡させた同14年の合戦,豊臣秀吉の朝鮮侵略における泗川合戦などで数々の軍功を立てる。天正15年,秀吉に敗北して上洛する当主義久に同行。人質としてであったという。慶長5(1600)年に祁答院宮之城の地を与えられ,子孫はこの地を代々襲封した。<参考文献>『本藩人物誌』(鹿児島県史料集)
(福島金治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報