島津忠長(読み)しまづ ただなが

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島津忠長」の解説

島津忠長 しまづ-ただなが

1551-1610 織豊-江戸時代前期の武将
天文(てんぶん)20年7月17日生まれ。従兄(いとこ)島津義久の九州平定をたすけ,文禄(ぶんろく)・慶長の役では島津義弘の旗下で勇名をはせる。薩摩(さつま)(鹿児島県)東郷領主をへて,慶長5年(1600)宮之城領主。7年義久の使者となり,徳川家康関ケ原の戦いの和議を講じた。慶長15年11月9日死去。60歳。薩摩出身。通称は又五郎。号は紹益

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367日誕生日大事典 「島津忠長」の解説

島津忠長 (しまづただなが)

生年月日:1551年7月17日
安土桃山時代;江戸時代前期の武士
1610年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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