島津忠高(読み)しまづ ただたか

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島津忠高」の解説

島津忠高 しまづ-ただたか

1651-1676 江戸時代前期の大名
慶安4年3月4日生まれ。島津久雄(ひさお)の長男。寛文4年(1664)日向(ひゅうが)(宮崎県)佐土原(さどはら)藩主島津家4代となる。幕府嫌忌にふれ佐土原に流された不受不施派の日講(にちこう)に教えをうける。藩士格式をさだめ,また儒者高橋一閑をまねき藩学の振興につくした。延宝4年8月11日死去。26歳。初名は久英(ひさあきら),国久。通称は又四郎。名は「ただあきら」ともよむ。

島津忠高 しまづ-ただあきら

しまづ-ただたか

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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