新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「島津珍彦」の解説 島津 珍彦シマズ ウズヒコ 肩書貴院議員 生年月日弘化1年10月22日(1844年) 経歴文久元年父久光が宗家に復帰した後をうけて、大隅重富領1万4060石。慶応3年西郷隆盛らの討幕論に賛成、京都守衛に当たり、鳥羽伏見、函館に転戦。明治9年鹿児島師範校長、22年男爵。照国神社宮司、鹿児島造士館長を務め、23年貴院議員。 没年月日明治43年6月16日 家族父=島津 久光(薩摩藩主) 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島津珍彦」の解説 島津珍彦 しまづ-うずひこ 1844-1910 幕末-明治時代の武士,華族。天保(てんぽう)15年10月22日生まれ。島津久光(ひさみつ)の3男。島津忠義の弟。父の宗家復帰にともない,薩摩(さつま)鹿児島藩重富領主となる。禁門の変,鳥羽・伏見の戦いで活躍し,のち箱館に転戦。維新後,鹿児島高等中学造士館長などをつとめた。貴族院議員,男爵。明治43年6月16日死去。67歳。初名は忠鑑。字(あざな)は子訓。通称は敬四郎,備後(びんご)。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by