20世紀日本人名事典 「島田賢一」の解説 島田 賢一シマダ ケンイチ 昭和期の実業家 チッソ会長。 生年明治43(1910)年5月24日 没年昭和53(1978)年2月20日 出生地和歌山県 学歴〔年〕東京商科大学(現・一橋大学)〔昭和9年〕卒 経歴昭和9年チッソの前身日本窒素肥料に入社。水俣工場総務部長などを経て34年取締役、常務から46年社長となった。水俣病問題の最終局面で会社側の代表となり、株主総会では前任の江頭豊と同様「一株株主を封じ込める」策を取ったが、48年3月熊本地裁で患者側全面勝訴の判決が出ると「新認定患者を含めて判決なみの補償」を約束するなど譲歩もした。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島田賢一」の解説 島田賢一 しまだ-けんいち 1910-1978 昭和時代後期の経営者。明治43年5月24日生まれ。昭和9年日本窒素肥料(現チッソ)にはいる。水俣(みなまた)工場総務部長,常務をへて,46年社長,52年会長。34年から社会問題となった水俣病訴訟の最終局面での対応と処理にあたった。昭和53年2月20日死去。67歳。和歌山県出身。東京商大(現一橋大)卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「島田賢一」の解説 島田 賢一 (しまだ けんいち) 生年月日:1910年5月24日昭和時代の実業家。日本窒素肥料社長1978年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by