島護産泰神社
とうごさんたいじんじや
[現在地名]岡部町岡
国道一七号の北に鎮座する。旧郷社で、祭神は瓊瓊杵命・木花咲耶姫。利根川の氾濫の際、村人は南西島・北西島・大塚島・内ヶ島・高島・矢島・血洗島・伊勢島(現深谷市)の八島(島は微高地の意)に分れて苦難を受けたため、当社を島の守護神として崇め、島護とよぶようになったという(神社明細帳)。江戸期までは榛沢郡の惣鎮守として崇敬され、社家は森田家が勤めた。京都白川家(伯家)の「白川家門人帳」によると、明暦元年(一六五五)に森田兵衛、元文二年(一七三七)には森田安兵衛が白川家からの裁許状を受けている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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