島頭庄(読み)しまがしらのしよう

日本歴史地名大系 「島頭庄」の解説

島頭庄
しまがしらのしよう

深野ふこの(現大東市)北端西岸近世の島頭村辺りにあったとみられる。観応二年(一三五一)正月一四日の勧修寺経顕処分状案(勧修寺家文書)によれば、当庄は経顕から子の経方に譲られているが、年貢五〇石は一期分として阿賀に、三〇石は同じく一期分として女房に与えられている。一方正平二三年(一三六八)九月一〇日の長慶天皇綸旨(山川七左衛門氏所蔵文書)によると、庄内吉近こんちか名が大雄だいゆう寺三光庵(跡地は現高石市)領として安堵されている。これに関しては吉近名を尼明魏の置文に任せて三光庵に寄進した一二月二日の四条隆俊の奉書が残るが(尊経閣文庫蔵)年次が明らかでない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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