日本歴史地名大系 「嵯峨天皇皇后陵」の解説 嵯峨天皇皇后陵さがてんのうこうごうりよう 京都市:右京区上嵯峨村嵯峨天皇皇后陵[現在地名]右京区嵯峨鳥居本深谷町愛宕(あたご)社参詣道の西、愛宕念仏(おたぎねんぶつ)寺の西北の深谷(ふかたに)山山中にある。皇后は橘清友の娘で名は嘉智子。弘仁六年(八一五)立后(日本後紀)。嵯峨天皇の譲位後は、ともに嵯峨(さが)院(現大覚寺)にあったが、嘉祥三年(八五〇)五月四日に嵯峨院で死去。六七歳(文徳実録)。翌五日「葬太皇太后于深谷山、遺令薄葬、不営山陵」(同書)とあるが、「延喜式」諸陵寮には「兆域東西六町南二町北五町、守戸三烟」とみえ、陵の壮大であったことを示している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by