嶋中鵬二(読み)シマナカ ホウジ

20世紀日本人名事典 「嶋中鵬二」の解説

嶋中 鵬二
シマナカ ホウジ

昭和・平成期の出版人 元・中央公論社社長。



生年
大正12(1923)年3月7日

没年
平成9(1997)年4月3日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京帝大独文科〔昭和22年〕卒

経歴
中央公論社長・嶋中雄作の二男。明治大学、東洋大学各講師を経て、昭和23年中央公論社に入社。24年父の死後社長に就任、以来一時期を除き約40年間つとめる。「中央公論」「婦人公論」の編集長、出版部長として腕を振るったが、「週刊公論」で失敗。36年のいわゆる“風流夢譚事件”により大正以来の民主的総合雑誌「中央公論」は右寄り転向。平成6年会長となり、8年社長代行を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「嶋中鵬二」の解説

嶋中鵬二 しまなか-ほうじ

1923-1997 昭和後期-平成時代の出版経営者。
大正12年3月7日生まれ。嶋中雄作の次男。昭和24年中央公論社社長。のち「中央公論」「婦人公論」の編集長,出版部長を兼務し,手腕をふるう。36年「風流夢譚(むたん)」問題で右翼少年が鵬二の妻と家政婦を殺傷した嶋中事件,同年の「思想科学」天皇制特集号の無断廃棄事件で,言論の自由論議にさらされた。平成9年4月3日死去。74歳。東京出身。東大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「嶋中鵬二」の解説

嶋中 鵬二 (しまなか ほうじ)

生年月日:1923年3月7日
昭和時代;平成時代の出版人。中央公論社社長
1997年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の嶋中鵬二の言及

【中央公論社】より

…昭和10年代にはその自由主義的社風が幾多の発禁事件を招き,その末期には廃業を強いられたが,第2次大戦後直ちに再建された。49年雄作の死後,嶋中鵬二が社長を継いだ。現在,上記2誌のほか《will》(前身は《経営問題》),《マリー・クレール》などがある。…

※「嶋中鵬二」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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