朝日日本歴史人物事典 「嶺春泰」の解説
嶺春泰
生年:延享3(1746)
江戸中期の医者。幼名は粂五郎,名は観,字は子光,春泰は号。上野国(群馬県)高崎藩医嶺春安の長男として高崎に生まれ,宝暦7(1757)年家督を相続した。安永3(1774)年3月に京都の山脇東門に入門し,漢方医学を学んだ。同7年ごろ江戸本石町に住し,漢方医片倉鶴陵と隣同士であった。晩年,『解体新書』出版(1774年8月)後の蘭学社中に加わり,蘭学を学ぶとともに,その普及に努めた。前野良沢に就学し,ボイセンの診断学書を翻訳して『五液精要』と称したが,未完のまま没した。のち同門の江馬蘭斎が『五液診法』として完成させている。<参考文献>緒方富雄「嶺春泰伝」(『日本医史学雑誌』14巻3号)
(吉田厚子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報