江戸後期の産科医。相模(さがみ)国(神奈川県)築井(つくい)の人。字(あざな)は深甫、鶴陵(かくりょう)と号す。家は代々医を業とした。12歳のとき江戸に出て多紀藍渓(たきらんけい)(1732―1801)について医学を修め、また井上金峨(きんが)に従って詩文を学んだ。25歳のとき牛込白銀(しろがね)町で開業、大いに繁盛した。のち京都に遊学し、賀川流産科を究めて江戸に帰り、産科を開業した。たまたま隣家の蘭学者(らんがくしゃ)嶺春泰(みねしゅんたい)(1746―1793)と知り合い、西洋産科説に接するようになった。1793年(寛政5)『産科発蒙(はつもう)』6巻を著し、そのなかでオランダのデフェンテルHendrik van Deventer(1651―1724)、イギリスのスメリーWilliam Smellie(1697―1763)らの産科書にある挿図を転載、紹介した。そのほか小児病についても造詣(ぞうけい)深く、また梅毒・癩(らい)(ハンセン病)に関しても心血を注ぎ、前者に関する『保嬰須知(ほえいすち)』、後者に関する『黴癘(ばいれい)新書』を著した。
[大鳥蘭三郎]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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