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片倉元周 かたくらげんしゅう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

片倉元周
かたくらげんしゅう

[生]寛延4(1751)
[没]文政5(1822)
江戸時代後期の医師。字は深甫,鶴陵と号した。賀川流産科医の第一人者。日本の産科学の発達に大いに貢献した。著書に『産科発蒙』などがある。

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世界大百科事典 第2版の解説

かたくらげんしゅう【片倉元周】

1751‐1822(宝暦1‐文政5)
江戸後期の漢蘭折衷派医。相模国出身。字は深甫,鶴陵と号した。医を多紀元徳(藍渓),儒を井上金峨に学び江戸で開業,一時京都に上って賀川流産科を修めた。西洋産科鉗子使用の紹介,三味線糸と筆軸使用の鼻茸(はなたけ)摘出用係締の考案,咽喉頭検査法の創案など,多くの独創的研究がある。著書として《産科発蒙》《黴癘新書》《青囊瑣探》等多数がある。【宗田 一】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

片倉元周
かたくらげんしゅう
(1751―1822)

江戸後期の産科医。相模(さがみ)国(神奈川県)築井(つくい)の人。字(あざな)は深甫、鶴陵(かくりょう)と号す。家は代々医を業とした。12歳のとき江戸に出て多紀藍渓(たきらんけい)(1732―1801)について医学を修め、また井上金峨(きんが)に従って詩文を学んだ。25歳のとき牛込白銀(しろがね)町で開業、大いに繁盛した。のち京都に遊学し、賀川流産科を究めて江戸に帰り、産科を開業した。たまたま隣家の蘭学者(らんがくしゃ)嶺春泰(みねしゅんたい)(1746―1793)と知り合い、西洋産科説に接するようになった。1793年(寛政5)『産科発蒙(はつもう)』6巻を著し、そのなかでオランダのデフェンテルHendrik van Deventer(1651―1724)、イギリスのスメリーWilliam Smellie(1697―1763)らの産科書にある挿図を転載、紹介した。そのほか小児病についても造詣(ぞうけい)深く、また梅毒・癩(らい)(ハンセン病)に関しても心血を注ぎ、前者に関する『保嬰須知(ほえいすち)』、後者に関する『黴癘(ばいれい)新書』を著した。[大鳥蘭三郎]

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