嶺松院跡(読み)れいしよういんあと

日本歴史地名大系 「嶺松院跡」の解説

嶺松院跡
れいしよういんあと

[現在地名]南部町沖田面 早稲田

沖田面(おきたおもて)の西南、猿辺(さるべ)川の下流左岸の丘陵地に位置する。真言宗。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」に「嶺松院 盛岡永福寺旧地、真言宗、同寺末寺也」とあり、永福(えいふく)寺(現岩手県盛岡市)の旧地に塔頭として建立されたものと考えられる。藩政期末の南部領寺社鑑写(岩手県盛岡市中央公民館蔵)では現米五石を給されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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