川並村(読み)かわなみむら

日本歴史地名大系 「川並村」の解説

川並村
かわなみむら

[現在地名]五個荘町川並

きぬがさ山東麓にある。天保郷帳には河並かわなみとあり、また河波とも記される。塚本つかもと石川いしかわの枝郷があり、近世には現塚本地区および石川地区の西浦にしうらを含む。慶長七年(一六〇二)検地帳(川並文書)によれば田五六町四反余・畑六町四反余・屋敷二町一反余。耕地のほとんどは水田化され、田品区分でも上田が過半の三七町六反余を占める。寛永石高帳では一千三石余、幕府領。寛文元年(一六六一)より天和三年(一六八三)まで上野館林藩領、その後幕府領に復し、貞享二年(一六八五)から大和郡山藩領。享保九年(一七二四)の諸色明細帳(神崎郡志稿)では、田方は早稲が二町余で多くは晩稲品種を栽培するとし、畑方は粟・稗・黍・菜・大根・麦を栽培、また肥料としては油糟・鰊・干鰯・山草おろし肥などを用いると記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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