川之江天領陣屋跡(読み)かわのえてんりようじんやあと

日本歴史地名大系 「川之江天領陣屋跡」の解説

川之江天領陣屋跡
かわのえてんりようじんやあと

[現在地名]川之江市川之江町

伊予国の東予四郡に散在する天領支配のために、幕府または預藩たる松山藩が川之江村に置いた代官所跡。一柳氏の屋敷跡の一部をあてたものと思われる。

享保六年(一七二一)の川之江村明細帳に「高六石二斗五升七合 五反五畝二拾六歩御役屋敷引」とある。広さ五反余、伝えられる一柳氏屋敷の半分ほどの広さであった。

伊予国天領の推移は複雑である。川之江地域では、寛永二〇年(一六四三)松山藩が一柳氏の上地一万八千五四三石三升一合(宇摩郡のうち四四村一万七千一二三石一斗五升八合と周布郡のうち一千八一九石八斗七升三合)を預り、代官以下を派遣支配した。その後寛文六年(一六六六)に一柳直照に三ヵ村七二二石五斗九升一合を、同一〇年に周布しゆうふ郡のうち一村と宇摩うま郡のうち六村四千六二八石六斗五升九合を松平頼純(西条藩)に引き渡した(松山叢談)。さらに、延宝五年(一六七七)には宇摩郡三七村一万三千五九一石八斗七升二合が幕府直轄として大坂代官所支配となり享保五年まで続いた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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