日本歴史地名大系 「川之江市」の解説 川之江市かわのえし 面積:六八・九二平方キロ愛媛県の東端、旧宇摩(うま)郡の東北部に位置する。北東から東にかけて香川県三豊(みとよ)郡、徳島県三好(みよし)郡に、南は法皇(ほうおう)山脈を隔てて宇摩郡新宮(しんぐう)村に、西は伊予三島市に接し、北西は燧(ひうち)灘に面する。法皇山脈北側山腹と平野部からなる。川滝町下山(かわたきちようしもやま)に発源した金生(きんせい)川が市内を貫流して川之江町において海に注ぐ。古来、讃岐国・阿波国・土佐国の三国と伊予国を結ぶ要衝。古代の官道が伊予国府と土佐国に通じ、近世の土佐道・阿波道・金比羅(こんぴら)道の通過地でもあった。現在、国道一一号が市内海岸寄りを通っている。川之江城のあった川之江町が旧宇摩郡の主邑として発展し、中世には川之江城をめぐって巨大勢力の攻防が繰り返され、江戸時代には一時、川之江藩(一柳氏)が置かれ、また伊予天領支配(松山藩預所時代が長い)のための代官所が置かれていた。〔原始〕金生川流域文化圏というにふさわしく、弥生時代・古墳時代の文化遺跡が多い。まず川之江町では、大江(おおえ)・瓢箪(ひようたん)山の弥生時代遺跡、古仏山(こぶつやま)・井地山(いじやま)・瓢箪山・お姫山(ひめやま)・宝洞山(ほうどうやま)古墳文化遺跡がある。金生町山田井(きんせいちようやまだい)には、鈴元(すずもと)古墳(消滅)、二天山(にてんやま)古墳(消滅)、同町下分(しもぶん)には、金生川川床からの弥生中期銅鉾一口の出土、県指定史跡の横穴式巨石墳たる向山(むかいやま)古墳などがあり、強大豪族の存在を示す。上分(かみぶん)町からは箱形石棺、妻鳥(めんどり)町からは、中鋒銅鉾や石斧の出土、また東宮山(とうぐうさん)古墳がある。金田(かなだ)町には、原峰(はらみね)一号・二号古墳、城塚(じようづか)古墳や陵宮(みささぎぐう)などがある。同町半田(はんだ)には、半田柴生(しぼう)古墳群がある。柴生町からは、平形銅剣二口が出土している。〔古代〕「和名抄」記載の宇摩郡内の五郷のうち、山田郷に属したとされる。南海道の伊予国府と土佐国に至る官道の通過地で、「延喜式」(兵部省)の「諸国駅伝馬」にみえる大岡(おおおか)駅が、妻鳥町または川之江町にあったとされる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by