川原淵組(読み)かわらぶちぐみ

日本歴史地名大系 「川原淵組」の解説

川原淵組
かわらぶちぐみ

宇和島藩地方支配の行政区画である十組の一つ。河原淵組とも記される。現松野まつの町と広見町の大部分を含む。広見川の川筋地域は明暦三年(一六五七)以降吉田藩領。

広見川・吉野よしの川流域の宇和島藩領は元禄九年(一六九六)の一〇万石高直し以前は、広見組九ヵ村、川原淵組一四ヵ村に分れていたが、同年の地方支配再編成により両組は川原淵組に統合され、二三ヵ村となった。同組の代官所は近永ちかなが村にあった。

大成郡録」によると、太閤検地(天正一五年―文禄三年)における川原淵組石高は七千九九三石四斗五合、寛文検地(寛文一〇―一二年)では九千四〇石六斗六升六合五勺七才、元禄九年には一千九八六石二斗六升一合とあり、本百姓数役高は七五二人七歩五厘となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む