近永村(読み)ちかながむら

日本歴史地名大系 「近永村」の解説

近永村
ちかながむら

[現在地名]広見町近永

三間みま川下流域の村。東は出目いずめ村、西はしば村に接する。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)宇和郡の項に「近永村 茅山有、川有、井手不被上、日損所」と村名がみえ、灌漑に不利な村で、干害を受けやすい村であった。宇和島藩領。

太閤検地石高は三三八石一斗二升三合で、耕地面積の比率は田八二パーセント、畑一八パーセント。寛文検地では石高が一七パーセント増加し、田六六パーセント、畑三四パーセントとなっている。貞享元年(一六八四)の「墅截」によると、村柄は「中ノ上」、田が「中ノ上」、畑は「中」、水掛りは「悪」となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android