川口武定(読み)カワグチ タケサダ

20世紀日本人名事典 「川口武定」の解説

川口 武定
カワグチ タケサダ

江戸時代末期〜大正期の男爵 海軍主計総監;貴院議員。



生年
弘化3年1月(1846年)

没年
大正7(1918)年1月19日

出身地
紀伊国(和歌山県)

別名
号=梅谷

経歴
明治5年神奈川県権大属、のち大蔵省租税監吏総長に就任佐賀の乱・西南戦争従軍。19年から陸軍軍吏学舎長、陸軍大学校教官、陸軍経理学校校長を歴任して、26年海軍に移り主計総監・海軍省経理局長となる。海軍主計科の産みの親とも言うべき人物の一人。28年日清戦争の功により男爵を授かる。30年予備役に編入され、31年宮内次官となり小松宮別当を兼任。この間、18年伊藤特派全権大使に随行して清(中国)、22年欧州各国に出張した。37〜44年貴院議員。晩年俳句に遊び梅谷と号した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川口武定」の解説

川口武定 かわぐち-たけさだ

1846-1918 明治時代軍人
弘化(こうか)3年1月生まれ。もと紀伊(きい)和歌山藩士。神奈川県権大属(ごんのだいさかん),大蔵省租税監吏総長に就任。明治19年から陸軍軍吏学舎長,陸軍大学校教官,陸軍経理学校長を歴任して26年海軍主計総監となる。31年宮内次官。貴族院議員。大正7年1月19日死去。73歳。号は梅谷。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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