川島大囲堤(読み)かわじまおおがこいづつみ

日本歴史地名大系 「川島大囲堤」の解説

川島大囲堤
かわじまおおがこいづつみ

近世の川島領、現在の川島町を水害から守るために設けられた囲堤。川島領は北を市野いちの川、東を荒川、南を入間いるま川、西を都幾とき川・越辺おつべ川に囲まれた地で、古くより河川氾濫に悩まされていた。永禄六年(一五六三)には岩付いわつき(岩槻)城主太田氏資の家臣井草いぐさ郷の牛村助十郎に対し入間川堤防築造を命じており(閏一二月五日「恒岡資宗・佐枝信宗連署状写」武州文書)、小さな囲堤は早くから築かれたらしい。しかし本格的な囲堤の築造は、荒川の治水・利水をすすめた代官頭伊奈忠次によって慶長年間(一五九六―一六一五)になされたと伝える。その後、寛永年間(一六二四―四四)に荒川の河道が付替えられたため、囲堤のさらなる強化が急務とされ、慶安年間(一六四八―五二)に川島領の大部分を領有した川越藩主松平信綱によって囲堤の増築普請が行われた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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