川本 輝夫(読み)カワモト テルオ

  • 川本 輝夫 (かわもと てるお)

20世紀日本人名事典の解説

昭和・平成期の市民運動家 水俣市議;チッソ水俣病患者連盟委員長;元・水俣病センター相思社理事長。



生年
昭和6(1931)年8月1日

没年
平成11(1999)年2月18日

出生地
熊本県水俣市出月

学歴〔年〕
水俣高〔昭和23年〕中退,葦北郡医師会立准看護学院卒

主な受賞名〔年〕
田尻賞(第8回)〔平成11年〕

経歴
土木、炭鉱労働者、とび職、新日本窒素肥料(現・チッソ)臨時労働者などを遍歴。昭和40年にチッソの工場で働いていた父が死亡。44年水俣病認定促進の会を結成、以後、未認定患者救済の闘争の先頭に立つ。46年に自らも熊本県より患者に認定され、同年11月より補償をめぐって、チッソと自主交渉に入る。47年チッソ五井工場の第二組合議長に面会の際、小ぜりあいとなり、東京地検により傷害事件(川本事件)として起訴される。一審で有罪とされながら二審が一審判決を破棄したうえ“公訴権の乱用”を認めて公訴棄却としたため検察側は上告。最高裁は55年12月上告棄却の決定を下し、晴れて“無罪”となった。この闘いの記録を、56年「川本裁判資料集」として刊行。水俣病補償協定締結後、認定申請の結論が出ないまま放置される人が多勢いたため、49年水俣病認定申請患者協議会(現・水俣病患者連合)を組織。行政による認定制度は患者を切り捨てだと批判し続けた。58年より水俣市議選に3選。また、52年から水俣病センター相思社理事長を務めたが、平成元年退任。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典の解説

生年月日:1931年8月1日
昭和時代の市民運動家。水俣市議;チッソ水俣病患者連盟委員長
1999年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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