川村山北(読み)かわむらやまきた

日本歴史地名大系 「川村山北」の解説

川村山北
かわむらやまきた

[現在地名]山北町山北やまきた

南東境にまる山、南に浅間せんげん山、北にむこう山があり、西部を南北に流れる皆瀬みなせ川が南西酒匂さかわ川に合し、東は川村向原かわむらむこうはら、南は川村岸かわむらきしと接する。東南より西に河村関所道が通り、西端に河村関所がある。西隣の都夫良野つぶらの村より瀬戸せと堰が注ぐ。中世は川村郷に属した。近世は小田原藩領。正保国絵図に村名をみる。貞享三年(一六八六)の村明細帳(県史五)によれば田一二町六反余、畑五二町四反余、山畑三七町二反余、新田畑一町九反余とあり、年貢に漆五貫七九一匁と柿渋・蜜柑・柑子を納め、楮九六束を府川ふかわ(現小田原市)の紙屋七兵衛へ売渡している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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