川村郷(読み)かわむらごう

日本歴史地名大系 「川村郷」の解説

川村郷
かわむらごう

和名抄」高山寺本・東急本に「加波无良」、刊本に「加波無良」の訓がある。郷域について「日本地理志料」は、現倉敷市域に含まれる近世道口みちぐち道越みちごえ阿賀崎あがさき柏島かしわじま村、現浅口郡金光こんこう町に含まれる八重やえの各村の南北に連なる地域とし、「大日本地名辞書」は同郡鴨方かもがた鴨方六条院ろくじよういんと、金光町佐方さがた大谷おおたに須恵すえの地域とし、「岡山県通史」は鴨方・六条院地区とする。

川村郷
かわむらごう

現在の山北町付近の古名。河村郷とも記す。平安時代後期には波多野義通の弟秀高がこの地を支配して河村氏を名乗った。秀高の子河村義秀は弓馬の術に優れた武士で、源頼朝の挙兵当時平氏方についたため、治承四年(一一八〇)一〇月二三日、「河村郷」を没収され、大庭景義に預けられた(吾妻鏡)。義秀は建久元年(一一九〇)九月三日、大庭景義のとりなしで許され、「本領」の河村郷を返給された(同書)。以後南北朝時代に至るまで、河村氏はこの地域を支配し、河村城は秀高の築城と伝承する。

弘安一一年(一二八八)二月の相模国河村等配分状案(県史二)に「相模国河村 畠八町二段半、在家一宇四郎三郎跡」、元亨元年(一三二一)亡父河村秀綱跡を配分された小太郎秀久の領知分に「相模国河村内田伍段、在家二宇、畠拾四町」(「関東安堵下知状案」同書)とみえ、畑地の多い地域であったことがうかがわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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