朝日日本歴史人物事典 「川路高子」の解説
川路高子
生年:文化1(1804)
江戸後期の大名家老女,川路聖謨 の妻。名は佐登子,のち高子。幕臣大越孫兵衛の娘。紀州徳川家,芸州浅野家に勤め,徳川家との縁から鳥取藩にも出入りした。35歳のとき聖謨と結婚。官軍の江戸城入城迫る明治1(1868)年3月15日,病床にあった聖謨は自殺。高子は従容その始末をし,髪をおろして松操と号した。各地の奉行を歴任した聖謨に代わって家を守る留守日記ともいうべき『高子日記』や島津斉彬 の母賢章院(鳥取藩主池田治道の娘)について記した『竹の一葉』,紀行文『寺めぐり』,歌集などがのこされている。<著作>『ね覚のすさび』(『川路聖謨文書』8巻)<参考文献>川路寛堂『川路聖謨之生涯』
(柴桂子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報