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川路高子 かわじ たかこ

美術人名辞典の解説

川路高子

江戸の人、大越孫兵衛の女、実名左登子、号松操、初め池田因幡寺斉稷の継母転心院に仕え、天保9年34才で聖謨に嫁す。明治18年(1885)歿、81才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

川路高子 かわじ-たかこ

1804-1884 江戸後期-明治時代,川路聖謨(としあきら)の妻。
文化元年生まれ。慶応4年新政府軍の江戸城入城がせまり,夫が自殺した際,おちついてその始末にあたる。前田夏蔭にまなんで文章,和歌にすぐれた。島津斉彬(なりあきら)の母賢章院の伝記「笹の一葉」などをのこした。明治17年10月12日死去。81歳。本姓は大越。名は別に佐登子。号は松操。

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朝日日本歴史人物事典の解説

川路高子

没年:明治17.10.12(1884)
生年:文化1(1804)
江戸後期の大名家老女,川路聖謨 の妻。名は佐登子,のち高子。幕臣大越孫兵衛の娘。紀州徳川家,芸州浅野家に勤め,徳川家との縁から鳥取藩にも出入りした。35歳のとき聖謨と結婚。官軍の江戸城入城迫る明治1(1868)年3月15日,病床にあった聖謨は自殺。高子は従容その始末をし,髪をおろして松操と号した。各地の奉行を歴任した聖謨に代わって家を守る留守日記ともいうべき『高子日記』や島津斉彬 の母賢章院(鳥取藩主池田治道の娘)について記した『竹の一葉』,紀行文『寺めぐり』,歌集などがのこされている。<著作>『ね覚のすさび』(『川路聖謨文書』8巻)<参考文献>川路寛堂『川路聖謨之生涯』

(柴桂子)

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