前田夏蔭(読み)マエダナツカゲ

デジタル大辞泉 「前田夏蔭」の意味・読み・例文・類語

まえだ‐なつかげ〔まへだ‐〕【前田夏蔭】

[1793~1864]江戸後期の国学者。江戸の人。通称、健助。号、鶯園。清水浜臣国学を学ぶ。「蝦夷志料」を編集するが完成を見ずに没。

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精選版 日本国語大辞典 「前田夏蔭」の意味・読み・例文・類語

まえだ‐なつかげ【前田夏蔭】

  1. 江戸末期の国学者。江戸の人。姓は菅原、通称健助、号は鶯園。清水浜臣に国学を学ぶ。歌学考証学に長じ、和歌、書にすぐれた。幕府の「蝦夷志料」編集に携わった。著に「万葉集私記」「蝦夷東西地名考証」など。寛政五~元治元年(一七九三‐一八六四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「前田夏蔭」の意味・わかりやすい解説

前田夏蔭
まえだなつかげ
(1793―1864)

江戸後期の国学者。寛政(かんせい)5年江戸に生まれる。通称健助。夏蔭、鶯園、無穂と号した。清水浜臣(はまおみ)に国学を学び、歌学をよくしたほか、『大日本史』の編集に加わり、また「嘉永(かえい)七年二月末」の跋文(ばつぶん)をもつ『蝦夷(えぞ)東西考証』二巻を著した。1854年(安政1)幕府に仕え、蝦夷地取調御用を申しつけられ、『蝦夷志料』(『千島志料』ともいう)の編集に着手した。『蝦夷志料』は夏蔭の手で60年(万延1)にひとまず脱稿、その後を子息の前田健次郎(夏繁(なつしげ))が引き継ぎ、65年(慶応1)に完成した。全210巻からなる蝦夷関係の一大資料集である。夏蔭は、その完成をみることなく元治(げんじ)元年8月26日に没した。『稲荷(いなり)神社考』『万葉集私記』など多数の著作がある。

[小林真人]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「前田夏蔭」の意味・わかりやすい解説

前田夏蔭
まえだなつかげ

[生]寛政5(1793).江戸
[没]元治1(1864).8.26.
江戸時代末期の国学者。通称は健助。号は鶯園。清水浜臣に師事し国学を修め,水戸徳川斉昭信任を受け『大日本史』編集に参加。のち幕命を受けて地誌『蝦夷志料』 (1865) を編集した。主著『稲荷神社考』 (36) ,『万葉集私記』 (29) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「前田夏蔭」の解説

前田夏蔭 まえだ-なつかげ

1793-1864 江戸時代後期の国学者。
寛政5年生まれ。清水浜臣(はまおみ)の門下で,考証学,和歌にすぐれた。安政元年幕府につかえ,翌年から「蝦夷(えぞ)志料」の編修にたずさわる。元治(げんじ)元年8月26日死去。72歳。なお「蝦夷志料」は,子の夏繁らによって慶応元年完成。江戸出身。初名は垂穂。通称は健助。号は鶯園。著作に「蝦夷東西考証」「鶯園歌集」など。

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