巡幸(読み)ジュンコウ

  • じゅんこう ‥カウ
  • じゅんこう〔カウ〕

精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙 (「幸」は天子が出る意) 天子の巡回。天皇が各地をまわること。
※続日本紀‐和銅元年(708)九月戊寅「巡幸平城、観其地形」 〔新唐書‐玄宗皇帝本紀〕

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世界大百科事典内の巡幸の言及

【行宮】より

…頓宮とも書き,〈かりみや〉ともいった。天皇の諸国巡幸のとき,駐輦・宿泊のために設けられる施設・建物。平城宮・平安宮などの宮が,天皇常住のためのものであるのに対し,かりに造った宮の意。…

【御真影】より

…その起源は,明治維新直後に打たれた重要な政策の一つとして,これまでほとんど民衆に知られることのなかった天皇の視覚化,言い換えるなら国家権力の可視化という意図にさかのぼれる。明治初期には巡幸という手段がとられる。巡幸にはいろいろな政治的目的はあったが,結局は生身の天皇を人眼にさらして権力の強化を図ることであった。…

【昭和天皇】より

…45年9月27日のマッカーサーとの会見,46年1月1日のいわゆる〈天皇人間宣言〉,明治憲法を根本的に否定するいわゆるマッカーサー草案を日本政府の憲法改正案として承認したことなどは,いずれも,こうした天皇制維持の目的のために余儀なくされたものであった。46年2月の神奈川県を手はじめに,51年秋までに北海道を除いて全国を一巡した天皇の地方巡幸も,こういう天皇の強い意思の下に行われた。
[〈象徴〉としての新しい役割]
 〈統治権総攬者〉としての天皇の地位を否定した新憲法制定後も,天皇は明治憲法下と同じ〈立憲君主〉としての自覚から依然政治に強い関心を示し,議会における共産党の進出に強い懸念をもらしたり,宮内府御用掛の寺崎英成を通じてアメリカ政府に,講和後もアメリカが必要とするなら沖縄を長期に軍事占領してもかまわないこと,しかもその形式は〈貸与〉の格好がありうることを提案するなど,しばしば政治への介入を試みた。…

【天皇】より

…その点で明治天皇は頻繁に各地へ行幸した。なかでも六大巡幸(1872年の近畿,中国,九州地方,76年の東北地方,78年の北陸,東海地方,80年の中央道地方,81年の東北,北海道地方,85年の山陽道地方)は,国家形成期における民情視察に名をかり,君主たる天皇の存在を広く民衆に周知させようとしたものにほかならない。その背後には天皇の存在が広く日本人一般に知られるところでなかったことがある。…

※「巡幸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

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