工藤昭四郎(読み)クドウ ショウシロウ

20世紀日本人名事典 「工藤昭四郎」の解説

工藤 昭四郎
クドウ ショウシロウ

昭和期の銀行家,財界人 東京都民銀行頭取;復興金融公庫理事長。



生年
明治27(1894)年7月30日

没年
昭和52(1977)年10月13日

出生地
徳島県徳島市

学歴〔年〕
東京帝国大学法学部〔大正10年〕卒

経歴
大正10年日本興業銀行入行、大阪支店長。戦後大蔵省物価部長から物価庁次長兼経済安定本部第5部長でインフレ対策に取り組み、復興金融公庫設立と同時に副理事長に就任。昭和25年理事長。26年東京都民銀行が設立されて頭取。51年に辞任するまで25年間在職。日経連常任理事、経済同友会代表幹事なども務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「工藤昭四郎」の意味・わかりやすい解説

工藤昭四郎
くどうしょうしろう

[生]1894.7.30. 徳島
[没]1977.10.13.
昭和期の実業家。東京帝国大学卒業後,日本興業銀行を経て大蔵省へ。物価部長,物価庁次長・経済安定本部第5部長,復興金融金庫理事長を歴任したのち,1951年に東京都民銀行を設立し頭取に就任。経済同友会の代表幹事として活躍する一方,日本経営者団体連盟 (日経連) 常任理事,経済団体連合会 (経団連) 推薦会員,公正取引協会会長などをつとめた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「工藤昭四郎」の解説

工藤昭四郎 くどう-しょうしろう

1894-1977 昭和時代の銀行家。
明治27年7月30日生まれ。日本興業銀行大阪支店長,物価庁次長兼経済安定本部第五部長をへて,昭和25年復興金融金庫理事長。26年東京都民銀行を設立し,25年間頭取をつとめ,中小企業金融整備につくした。経済同友会代表幹事。昭和52年10月13日死去。83歳。徳島県出身。東京帝大卒。

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367日誕生日大事典 「工藤昭四郎」の解説

工藤 昭四郎 (くどう しょうしろう)

生年月日:1894年7月30日
昭和時代の銀行家;財界人。東京都民銀行頭取;復興金融公庫理事長
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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