長期信用銀行法に基づいて認可、運営されていた銀行。現みずほ銀行、みずほコーポレート銀行。「興銀」と略称していた。本銀行は、1902年(明治35)日本興業銀行法によって株式担保貸付を主とする動産銀行として設立された。当初は金融債発行によって資金を調達し、これを長期産業資金の供給にあてた半官半民の特殊銀行であった。第二次世界大戦後、金融民主化の一環として特殊銀行が廃止されることとなり、1950年(昭和25)に日本興業銀行法も廃止となったが、その後1952年の長期信用銀行法の制定により長期信用銀行として再出発した。割引興業債券(ワリコー)や利付興業債券(リッキー)といった金融債の発行によって調達した長期資金を産業設備資金や長期運転資金として融資した。また、海外投資金融に対する比率も高く、社債受託業務においても大きな地位を占め、証券会社に対する影響力も大きかった。2000年(平成12)9月、第一勧業銀行、富士銀行とともに持株会社「みずほホールディングス」を設立。3行は2002年4月、分割および合併により統合・再編し、みずほ銀行、みずほコーポレート銀行となった。2001年9月末当時、資本金6736億円、債券発行残高17兆1528億円、預金残高6兆1792億円、貸出残高22兆2781億円。店舗数国内24、海外支店・出張所16。
[原 司郎]
『日本興業銀行年史編纂委員会編纂『日本興業銀行百年史』(2002・日本興業銀行)』
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長期資金融資を主たる業務とする長期信用銀行のトップ。略称,興銀。正しくは〈にっぽんこうぎょうぎんこう〉と読む。1902年3月,工業に長期資金を円滑に供給するとともに,外資導入を促進する特殊銀行として日本興業銀行法(1900公布)に基づき設立された。資本的には民間銀行であったが,政府が役員の任命権をもち資金調達も政府の財政資金に依存していた。同年10月,第1回興業債券200万円発行。また同年,興銀預金部保有の帝国5分利付公債を海外で売却した。06年,日本最初の民間外資導入であり,また担保付社債信託法に基づく社債第1号である,北海道炭礦鉄道(現,北海道炭礦汽船)の外債を受託した。第2次大戦後,政府の干渉の度合の強い特殊銀行は,極力廃止されるべきという占領政策の考え方に基づいて50年,日本興業銀行法が廃止され一時普通銀行となった。しかし戦禍で疲弊した日本の経済の発展には電力,鉄鋼,海運等主要産業の発展が必要であり,それら業種に対する長期資金の円滑な供給を図る長期専門銀行制度が不可欠との結論に達した。これを受けて52年長期信用銀行法が新たに制定されると,同行は再び普通銀行から長期信用銀行に転換した。その後は経常的に発行する5年もの利付債券,1年もの割引債券を主たる資金源として,日本の基幹産業に長期資金を供給する一方,証券市場においては第2次大戦前から築いてきた受託銀行としての基盤を背景に主導的役割を担ってきた。最近では日本経済の国際化に伴い積極的に国際業務を展開し,とくに資源開発プロジェクト等においては世界的なプロジェクト・オルガナイザーとしての地位を築いている。2000年9月第一勧業銀行,富士銀行と共同金融持株会社,みずほホールディングスを設立。02年4月3行は分割・再編されて,みずほ銀行とみずほコーポレート銀行の2行となった。さらに03年1月みずほグループの統括会社,みずほフィナンシャルグループが設立された。
執筆者:里中 利則
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第2次大戦前は工業金融の特殊銀行,戦後は長期信用銀行の一つ。略称興銀。松方正義の銀行分業構想により,1900年(明治33)3月公布の日本興業銀行法にもとづいて02年3月に設立。当初は債券発行による長期産業資金供給と外資導入が使命。外資導入と西原借款などの対外投資には活躍したが,産業融資は停滞し,大正・昭和の不況期には救済融資機関となった。37年(昭和12)以降の日中戦争期は軍需金融の中心機関。第2次大戦後は占領軍による改組を免れて48年に新発足,50年に日本興業銀行法が廃止され普通銀行に転換した。さらに52年に長期信用銀行法にもとづく銀行に移行。2002年(平成14)に富士銀行・第一勧業銀行と合併,みずほコーポレート銀行を経てみずほ銀行となった。
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…すでに1880年2月貿易金融を目的とした横浜正金銀行(現,東京銀行)が開業していたが,不動産金融を目的として日本勧業銀行(現,第一勧業銀行)が97年8月,各府県農工銀行が97年11月から開業した。また1900年4月北海道拓殖銀行が北海道の開発金融機関として発足し,02年4月には日本興業銀行が長期工業金融を目的として開業した。そのほか植民地銀行として,1899年9月台湾銀行が開業し,09年10月韓国銀行(1911年8月朝鮮銀行に改称)が設立された。…
…大衆の資金を企業の発起のために動員するという,クレディ・モビリエが開発した産業金融方式は,後進国の工業化に有効であるとみなされ,ドイツや日本では同行を模倣した金融機関が創設された。日本興業銀行もその一つである。【権上 康男】。…
…アメリカ式高層事務所建築のはしりといわれる東京海上ビル(1918)や,アメリカの建設会社の施工による丸ビル(1923)といった7~8階建ての大型事務所建築が続々建てられるようになっていった。それらの中で,日本興業銀行本店の建物は,鉄骨の柱を鉄筋コンクリートで包み,要所要所に鉄筋コンクリートの耐震壁を配したもので,23年の関東大震災にあってもまったく被害がなく,日本における耐火・耐震上の問題に解決を与えた建築であった。それ以降,大規模高層建築の大部分は鉄骨鉄筋コンクリート構造と呼ばれる日本独自の構造形式により建設されるようになった。…
…〈長期信用銀行法〉(1952公布)に基づく長期金融機関。日本興業銀行,日本長期信用銀行,日本債券信用銀行の3行があるが,それぞれ異なった沿革をもっている。同法により新設された日本長期信用銀行と,1902年設立の特殊銀行から移行した日本興業銀行の2行が52年当初から存在し,その後57年に,旧朝鮮銀行の残余財産を継承した日本不動産銀行(1977年10月に日本債券信用銀行と改称)が新設された。…
…銀行分業主義の理念に立つ松方正義は1881年(明治14)に日本銀行設立を建議した際,日本銀行を頂点とする商業金融機関とは別に,大衆の零細貯蓄を扱う貯蓄銀行,農工業のための勧業銀行の必要を説いた。この勧業銀行構想は,日清戦争後に日本勧業銀行,各府県の農工銀行,日本興業銀行として実現した。日本勧業銀行は,96年4月公布の日本勧業銀行法にもとづいて,97年6月に資本金1000万円で設立され,初代総裁には河島醇が任命された。…
※「日本興業銀行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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