日本歴史地名大系 「左官町」の解説 左官町さかんちよう 広島県:広島市中区左官町[現在地名]中区本川(ほんかわ)町一―二丁目・十日市(とおかいち)町一丁目雲石路に面する十日市町を西に折れた筋に面し、東突当りを南に折れると鍛冶屋(かじや)町、北に折れると武家町の鷹匠(たかじよう)町である。新開組に属した。古くから左官職の町として成立し、承応の切絵図では「塗壁町」とも記される。「知新集」に町間数一丁三四間、竈数一三二(本竈三五・借竈九七)、人数五四五(男二九三・女二五二)、うち農具鍛冶三八人、べんがら師・水牛細工・水牛細工鏡磨・縫針鏡磨各一人をあげる。 左官町さかんまち 福岡県:北九州市(旧豊前域)小倉北区小倉城下左官町[現在地名]小倉北区金田(かなだ)一丁目西鍛冶(にしかじ)町の南にある。小倉領寺院聚録に左官町とみえ、曹洞宗明照(みようしよう)寺(明治初年廃寺)・浄土真宗西応(さいおう)寺があった。幕末の藩士屋敷絵図では両寺のほか、西の到津口(いとうづぐち)門の勢溜の前に天台宗の見徳(けんとく)寺がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by