日本歴史地名大系 「差小路」の解説 差小路えさしこうじ 岩手県:盛岡市盛岡城下差小路[現在地名]盛岡市肴町(さかなちよう)・南大通(みなみおおどおり)一丁目寺(てら)の下(した)の北につづく三町半ほどの侍町(「盛岡砂子」など)。元文城下図によれば、寺の下の通りは臨江(りんこう)庵付近で左に折れ、遠曲輪の堀に沿って北に延び、町の中央部でやや屈曲して北東に向きを変える。屈曲部南は両側町、北は東側のみの片側町で生姜(しようが)町に接する。寛永城下図には、鷹匠(たかしよう)小路の呉服(ごふく)町入口より南西一町半が餌指町と記され、のち餌差は下河原(しもがわら)(多賀)に普請をして移転したが、延宝(一六七三―八一)以後に洪水によって多数の死者を出したため餌差小路を代地とされたのであろう(盛岡砂子)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by