市井村
いちいむら
宇津呂村の北東に位置し、北から東にかけては多賀村、西は八幡町。同町のうち東端の慈恩寺町・博労町・鍵之手町は当村に所属した(八幡町史)。名は鎌倉時代、日牟礼八幡宮の神官であった市井氏(櫟井氏)に由来するとされるが(蒲生郡志)、中世の島郷市に関係するものと考えられる。応安三年(一三七〇)一二月一六日の信阿弥陀仏寄進状(大島・奥津島神社文書)に「島郷内市井畠地九十歩」とみえ、大島・奥津島神社に寄せられている。なお同所の加地子は一斗八升であった。貞享二年(一六八五)大和郡山藩領となり、同藩領で幕末に至る。
市井村
いちのいむら
[現在地名]大門町市井
円池村の北、和田川左岸に位置。江戸時代初期には市ノ井・市之井と書いたが、中期以降市井となる。村名はもとは一ノ井と書き、村にただ一つあった井戸に由来すると伝える。正保郷帳に市ノ井村とあり、高六一一石余、田方三九町五反余・畑方一町二反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印には市之井村とあり、草高四九七石、免五ツ(三箇国高物成帳)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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