日本歴史地名大系 「大門町」の解説
大門町
だいもんまち
- 埼玉県:浦和市
- 大門町
慶長二年(一五九七)九月旗本水野万千代(光康)は徳川氏から「大門郷七百石」を宛行われている(朝野旧聞藁)。元和五年(一六一九)岩槻藩領となった(会田落穂集)。田園簿では田六二七石余・畑二七〇石余で、同藩領。ほかに
大門町
だいもんまち
- 富山県:射水郡
- 大門町
射水郡の西部に位置し、東は
射水丘陵西端の
大門町
だいもんちよう
観音寺門前の町人町。中世に
寛永元年(一六二四)の町年寄推挙文書(津市史)に津町二二町の代表者が連署し、総町年寄として伊藤又五郎を推挙し、大門町の代表者としては藤田宗六左衛門と進半左衛門の名がある。
大門町
だいもんちよう
大門町
だいもんまち
西曲輪の北西部にあり、東は堀を挟んで
大門町
だいもんちよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報