市辺押羽皇子(読み)いちのべのおしはのみこ

改訂新版 世界大百科事典 「市辺押羽皇子」の意味・わかりやすい解説

市辺押羽皇子 (いちのべのおしはのみこ)

おしはは忍歯とも記す。履中天皇の長子。母は葦田宿禰葛城襲津彦の子)の女の黒媛。《日本書紀》顕宗即位前紀によれば,蟻臣(葦田宿禰の子)の女の荑(はえ)媛をめとって億計(おけ)王(仁賢天皇),弘計(おけ)王(顕宗天皇),飯豊女王(飯豊青皇女)らを生んだという。同即位前紀には〈市辺宮に天下治(しら)しし天万国万押磐尊〉とあり(市辺は大和国山辺郡の地名),また《播磨国風土記》にも〈市辺天皇命〉と表現することから即位したとみる説もあるが,履中天皇と顕宗・仁賢両天皇をつなぐ血脈の皇子を尊んでの追贈的な伝承であろう。葛城氏を外戚とする履中系を代表する皇子は,履中系と允恭系の対立するところの記紀の物語では,大泊瀬皇子(雄略天皇)により近江国の蚊屋野で射殺されたと伝えられる。このとき播磨に逃げた億計,弘計の両王が即位後に父の遺体を求めた後日譚は有名である。
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世界大百科事典(旧版)内の市辺押羽皇子の言及

【歯】より

…八重歯もまた,日本人には多くみられる。古くは忍歯(押歯)(おしは)と称し,《古事記》に履中天皇の皇子の市辺忍歯王(いちのべのおしはのみこ)(市辺押羽皇子)は,〈三枝の如き押歯〉のもち主であったので,歯の形から遺骸を同定できたとある。八重歯は欧米の審美観に合わないが,谷崎潤一郎は八重歯やみそっ歯のふぞろいなところに日本人は自然の愛きょうを認めたと弁護し,大都会の美人はだいたいにおいて歯の性が悪くてふぞろいだという(《懶惰の説》)。…

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