4世紀末前後に活躍した古代大和の豪族。生没年不詳。武内宿禰(たけうちのすくね)の子と伝えられ,仁徳天皇の皇后磐之媛(いわのひめ)の父といわれる。《古事記》には曾都比古とあるが,《日本書紀》神功皇后62年条に引く《百済記》に沙至比跪(さちひこ)という名で登場することから,実在性が高いと考えられており,奈良盆地南西部の有力豪族葛城氏の祖にあたる。《日本書紀》神功5年条によると,新羅(しらぎ)の人質を送る途中人質が逃亡したので,彼は新羅の使者を焼き殺し,新羅に軍隊を向けて捕らえた人々を連れ帰った。また前記の《百済記》には,彼が新羅を攻めずに加羅(から)を攻撃したため,天皇の怒りをかって石穴に入り死んだと伝えられている。これらの伝えの史実性については問題が残るが,対朝鮮関係の将軍としてしばしば活躍したという《日本書紀》の伝えは,彼の活躍の実態をうかがわせるものとされている。
執筆者:原島 礼二
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(佐藤長門)
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生没年不詳。仁徳(にんとく)天皇皇后磐之媛(いわのひめ)、葦田宿禰(あしたのすくね)、玉田宿禰(たまたのすくね)の父にあたり、『古事記』(孝元(こうげん)記)に建内宿禰(たけしうちのすくね)の子で玉手臣(たまてのおみ)、的臣(いくはのおみ)ら4氏の祖とする。『日本書紀』には神功(じんぐう)紀から仁徳(にんとく)紀まで5条にわたり新羅(しらぎ)、加羅(から)、百済(くだら)に派遣されたことを記すが、いずれも史実性に乏しい。ただ神功紀所引『百済記』に沙至比跪(さちひこ)があり襲津彦と同一人とみられることから、4世紀末に朝鮮に出兵した実在の将軍の可能性もある。
[加藤謙吉]
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