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葛城襲津彦 カツラギノソツヒコ

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デジタル大辞泉の解説

かつらぎ‐の‐そつひこ【葛城襲津彦】

《古くは「かづらきのそつひこ」》4世紀後半ごろの豪族。大和の人。武内宿禰(たけのうちのすくね)の子。大和朝廷に仕え、その娘、磐之媛(いわのひめ)仁徳天皇の皇后とされる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

葛城襲津彦 かずらきの-そつひこ

記・紀にみえる伝承上の人物。
古事記」によれば,建内(武内)宿禰(たけしうちのすくね)の子とされ,玉手臣(たまてのおみ),的臣(いくはのおみ),生江臣(いくえのおみ),阿芸那臣(あぎなのおみ)の祖。「日本書紀」には神功(じんぐう)巻から仁徳(にんとく)巻に新羅(しらぎ),加羅(から),百済(くだら)など朝鮮に派遣されたことがしるされている。

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朝日日本歴史人物事典の解説

葛城襲津彦

生年:生没年不詳
4世紀末前後に実在したと考えられる倭王権の権臣。伝説上の武内宿禰の子と伝えられ,仁徳天皇の皇后の磐之媛や玉田宿禰,葦田宿禰の父。『日本書紀』神功皇后摂政62年条に引用される『百済記』にみえる沙至比跪は襲津彦の訛音とされ,その実在を示すものとして注目されている。神功摂政5年新羅の質微叱許智伐旱(未斯欣)が偽って帰国したとき送使となり,だまされたことを知って新羅使を殺し,捕虜を連れ帰った。同62年には新羅を討伐しようとしたが,美女ふたりを送られて,かえって加羅国を攻めたため,天皇の怒りを買い,石穴に入って死んだとある。<参考文献>井上光貞「帝紀からみた葛城氏」(『井上光貞著作集』1巻)

(佐藤長門)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

かずらぎのそつひこ【葛城襲津彦】

4世紀末前後に活躍した古代大和の豪族。生没年不詳。武内宿禰(たけうちのすくね)の子と伝えられ,仁徳天皇の皇后磐之媛(いわのひめ)の父といわれる。《古事記》には曾都比古とあるが,《日本書紀》神功皇后62年条に引く《百済記》に沙至比跪(さちひこ)という名で登場することから,実在性が高いと考えられており,奈良盆地南西部の有力豪族葛城氏の祖にあたる。《日本書紀》神功5年条によると,新羅(しらぎ)の人質を送る途中人質が逃亡したので,彼は新羅の使者を焼き殺し,新羅に軍隊を向けて捕らえた人々を連れ帰った。

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大辞林 第三版の解説

かずらきのそつひこ【葛城襲津彦】

四世紀末前後に実在したと考えられる将軍。仁徳天皇皇后磐之媛いわのひめの父で、その子孫葛城氏は五世紀を通じて外戚として栄えた。

かつらぎのそつひこ【葛城襲津彦】

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

葛城襲津彦
かつらぎのそつひこ

生没年不詳。仁徳(にんとく)天皇皇后磐之媛(いわのひめ)、葦田宿禰(あしたのすくね)、玉田宿禰(たまたのすくね)の父にあたり、『古事記』(孝元(こうげん)記)に建内宿禰(たけしうちのすくね)の子で玉手臣(たまてのおみ)、的臣(いくはのおみ)ら4氏の祖とする。『日本書紀』には神功(じんぐう)紀から仁徳(にんとく)紀まで5条にわたり新羅(しらぎ)、加羅(から)、百済(くだら)に派遣されたことを記すが、いずれも史実性に乏しい。ただ神功紀所引『百済記』に沙至比跪(さちひこ)があり襲津彦と同一人とみられることから、4世紀末に朝鮮に出兵した実在の将軍の可能性もある。[加藤謙吉]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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