市辺村(読み)いちのべむら

日本歴史地名大系 「市辺村」の解説

市辺村
いちのべむら

[現在地名]城陽市大字市辺

現城陽市の最南端に位置する。北は久世郡なか村、南は青谷あおだに川を挟んで綴喜郡多賀たか(現井手町)。綴喜郡に属する。

古くは櫟野辺と記し、この地に櫟が繁茂していたことによるという。しかし一説に履中天皇の皇子市辺押磐皇子が住したためで、村内の字大芝おおしばも、この皇子の名にちなむという。本居宣長も「市辺忍歯王、市辺は山城国綴喜郡に市辺村といふ今あり、其処か」(古事記伝)としている。

平安時代末期から鎌倉時代にかけて、付近一帯は市辺庄と称する荘園であったらしい。鳥羽天皇の皇女上西門院の所領の一とされ、そののち後白河法皇より皇女宣陽門院に伝領されたらしく、貞応三年(一二二四)頃の宣陽門院(覲子内親王)御領目録(島田文書)に「新御領自上西門院被進之」として「山城国市辺庄」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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