日本歴史地名大系 「市郎右衛門新田村」の解説 市郎右衛門新田村いちろうえもんしんでんむら 山形県:東田川郡立川町市郎右衛門新田村[現在地名]立川町立谷沢(たちやざわ)立谷沢川上流右岸に位置し、北は工藤沢(くどうざわ)村、南対岸は大中島(おおなかじま)村、東は虚空蔵(こくぞう)岳山麓。万治三年(一六六〇)鶴(つる)ヶ岡上肴(おかかみさかな)町の市郎右衛門が開発。大中島村や中(なか)村から移住して立村され、開発者の名前を村名にした。正徳四年(一七一四)の高二七石余(清川組総石高)。寛政四年(一七九二)の高二二石余(肝煎重助控)。しばしば洪水に悩まされ、享保元年(一七一六)の大水では二〇石余のうち四石余が川崩れ、一五石余を百姓一〇人で所持した。家数一二・人数七〇余。山稼で生計をたてていた(「歎願書」以上斎藤文書)。弍郡詳記では高二二石余、免二ツ四分、家数一一。明治三年(一八七〇)の絵図(鶴岡市郷土資料館蔵)では家数九。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by